「おい、メシ食ったか」…田中角栄の人間観
【連載】「あの名言の裏側」 第3回 田中角栄編(4/4)ブームの根底にあるもの
田中氏は、極端な偏食家だったそうです。高級店のステーキはクチにしようともせず、猛烈に塩辛い塩鮭一切れを丸ごと入れたおにぎりを求めたり、上質なキャビアには見向きもせず、筋子を欲しがったりしたのだとか。何にでもドバドバとしょうゆをかけるのが好きで、好物のうな重にもしょうゆをかけて食べていたそうです。味の濃いみそ汁、漬け物、甘辛い煮物などを好んで食べていた、という証言もあります。要するに、田舎のおふくろの味しか受け付けないような御仁だったわけです。
人によっては、「品のない悪食」「田舎者」と揶揄したくもなるでしょう。事実、田中氏は新潟の貧しい豪雪地帯出身であり、田舎から立身出世を果たした自身に向けられる偏見を重々承知していました。しかし、そんな泥臭さを隠すこともなく、むしろおのれの武器としてしたたかに立ち回り、高度経済成長の時代にあった日本の政界で猛烈な求心力を放ち続けました。毀誉褒貶はあるにせよ、その圧倒的なまでの存在感は現代においても強い輝きを放ち、その言動はいまでも変わることなく人々の感情を突き動かしているのです。
ここ数年、田中氏を再評価する気運が高まり、関連書籍が何冊も刊行されたり、ネットで名言が紹介されたりしています。
そうした現象について、たとえば「閉塞感が漂い、将来への不安感ばかりが高まっている現代の日本において、田中氏はとても魅力的に映るのではないか」とか、「いまの混迷する政治への不満の表れとして、圧倒的な実行力、推進力、求心力を備えた田中角栄のようなリーダーを人々は求めているのだ」といった形で説明されることが多いのですが、その大元にあるのはもっとシンプルな、田中氏の素朴な人間性であるように思えてなりません。田中氏の言動から滲み出てくるまなざしの温かさ、人間という存在そのものを肯定するような姿勢が人々を魅了しているのではないでしょうか。
最後に、田中氏の人間観、政治観がしみじみと伝わってくる発言に触れておきましょう。
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人間は、やっぱり出来損ないだ。みんな失敗もする。その出来損ないの人間そのままを愛せるかどうかなんだ。政治家を志す人間は、人を愛さなきゃダメだ。東大を出た頭のいい奴はみんな、あるべき姿を愛そうとするから、現実の人間を軽蔑してしまう。それが大衆軽視につながる。それではダメなんだ。そこの八百屋のおっちゃん、おばちゃん、その人たちをそのままで愛さなきゃならない。そこにしか政治はないんだ。政治の原点はそこにあるんだ。
(大下英治『田中角栄秘録』より)
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“第二の田中角栄”と評されるような政治家は、今後、現れてくるのでしょうか。
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